今回は、日本人の墓地の上に作られた住宅地、
碑石文化村に行ったときの様子をお届けします。
個人的には甘川文化村よりも、
日本人が訪れるべきはこちらではないかと思いました。
日本人墓地の上に作った住宅街、碑石文化村。
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碑石文化村の場所
碑石文化村は、観光客で賑わう甘川文化村の北にあります。
地下鉄の最寄り駅は土城駅。
8番出口を出て、山側へ坂道をひたすら登ります。
マウルバスもあるようですが、住民の生活を体験すべく、
今回は徒歩で向かいました。
▼碑石文化村の案内図がある場所(下のマークのある角)
墓石を利用しているそれぞれの場所の案内図があります。
タルドンネ(月の町)
タルドンネとは、韓国の貧民街を表す言葉。
月に届くほど近い山に住んでいるという意味で使われているそう。
「○○文化村」と言われる地域はほとんどが、このタルドンネにあたる。
釜山の場合、朝鮮戦争で住まいを追われ、ソウルから逃げてきた人たちが、
交通の便が悪く、インフラが整備されていない斜面などに住み着いたのが、
その始まりとされる。
経済発展で、住環境のいい地域に引っ越す人が多くなって、
空き家や廃墟が目立ちはじめ、治安も急速に悪化したそうです。
殺人事件の容疑者が、タルドンネに一時潜伏することがあったり、
社会的に問題視されるようにになり、ウォールアートやオブジェをおいて、
「文化村」と名付けて町おこしをしたとのこと。
検索すると、ソウルにも〇〇文化村がいくつかあって、
アートによる町おこしは韓国各地で行われているようです。
その中でも一番成功したのが、甘川文化村。
連日、観光客で賑わっています。
日本人共同墓地だった、碑石文化村
元は日本人共同墓地だったという碑石文化村。
日本人の墓地があったというだけあって、
釜山と日本は深く交流していたようです。
江戸時代には、すでに日本人居留地が釜山にあって、
その記念碑が龍頭山公園に残っています。(草梁倭館記念碑)
釜山タワーの建っている場所は、元は、神社が建っていたとのことで、
戦争が終わるまで日本人には馴染みのある場所だったと想像できます。
土城駅からの道
碑石文化村までは、
避難してきた人たちの苦労を少しでも味わおうと、
徒歩で向かいました。
駅の出口から2・3分で、上り坂の道になります。
住宅地には向かない、急な上り坂をひたすら上ります。
しばらく行くと、発展前の韓国の様子を展示している場所にでました。
「かつてはこんな苦労をしていた・・・」と、
若い人に語りかけるような内容の展示。
日本人でもなんとなく懐かしく感じてしまいました。
韓国の地図アプリで調べると、そのあたりの道が、
「避難首都痕跡通り」というらしいです。
さらに登っていくと、道の途中に、
甘川文化村にあるようなオブジェが置かれていました。
どこか物悲しく感じてしまいました。
▼かつての韓国の様子を展示
▼坂道の途中にあったオブジェ。
▼朝鮮戦争当時の避難民の姿でしょうか。
▼見晴らしのいい場所から
▼このカーブの途中に有名な墓石があります。
碑石文化村 到着
下調べはしていたものの、位置関係がはっきりしていなかったので、
坂を登っていくと突然、
一番有名な(よくネットで見かける)墓石の外柵を利用した家が登場したので、
自分にはちょっと衝撃が走りました。
▼中央、墓石の外柵をそのまま利用して建てた家。
子供が楽しく遊んでいる彫刻がさらに異様な感じを与えている。
▼劣化が激しく、保存のためか屋根がかけられています。
近寄って見てみると、さらに衝撃が走りました。
墓石が無造作に地面におかれています。
彫られている戒名も見えます。
弔いの文化が違うのか、(弔いの文化がそもそもあるのか)
墓石が、使い古された、ただのオブジェとして扱われていました。
展示しなくなってあまったオブジェの材料のように。
▼地面に置かれた墓石
すぐ横には碑石文化村の案内図があります。
日本人の墓の上に作った村として、観光客にアピールしています。
注目なのは、碑石文化村のマスコット。
墓が頭に家を乗っけています。
「珍しいから、見においで」と言わんばかり。
▼碑石文化村の案内板
▼頭に家を乗っけて笑顔の墓のマスコット。
碑石文化村の路地に潜入
案内板の横から、碑石文化村の住宅街の路地へと入っていきました。
道は人ひとりが通れる細さ。すれ違うことも困難なところもあります。
建っている家は、言葉が悪いですが、そんなにボロ屋ではなかったです。
改築、改築で今の状態になったのでしょうか。
▼路地はものすごく細かったです。
ちょっと行くと、交番らしき建物と、公衆トイレがありました。
交番は治安が悪くなったからで、
公衆トイレは、トイレのある家が少ないからだそうです。
元は墓所だったわけですから、当然住環境は最低です。
▼交番というより詰め所、立ち寄り所といった感じ。
▼すぐ近くに公衆トイレ
あとで気づきますが、この交番のある場所にも、
墓石が使われていました。
ここもネットでよく見かける画像の場所でした。
▼交番の場所の下にある石垣に墓石が使われています。
▼家紋や戒名なんかも見えます。
先にすすむと、ところどころ、ウォールアートが登場します。
暗い気持ちを引きずりつつ、歩いていくと、
明るいタッチのウォールアートが登場して、ちょっと切なくなりました。
ちょっと不謹慎ですが、
次は暗い気持ちになるのか、明るい気持ちになるのか、
軽い探検気分と、タブーに触れているヒリヒリする感覚を感じながら歩きました。
▼日本語での注意書きもあります。
大声で騒いでいた日本人がいたんでしょうね。気をつけましょう。
▼住民の似顔絵でしょうか。ハートがいっぱい。
▼電柱にもアート。
▼土地の記憶を打ち消すようにアートが続きます。
▼ちょっと物悲しいアートもありました。
▼上のアートのすぐ近くにある石垣。「明治・・・」と彫られているのがわかります。
▼植木鉢の台にも・・・。
▼石垣の石材とは明らかに違う墓石。きれいに成形されているので目立ちます。
碑石文化村 さらに奥へ
斜面の上の方へ路地を進みました。
小さめの車道にでました。
地図ではこの通りのあたりに、碑石文化村という表記があります。
車道の先には展望台があり、
アニメか何かのキャラクターのユーモラスなオブジェがありました。
▼地図アプリでは「クルミシオガヌン展望台」とありました。
車道から更に斜面の上へと路地を入ってみます。
はっきりとは確認できないものもありますが、
墓石があちらこちらで使われています。
階段やら、敷石やら、石垣の一部などなど・・・。
以下、場所はバラバラですが写真を載せておきます。
写真を撮ることで、
ブログに載せることで、
何となくここに埋葬された日本人の供養になるような気がしました。
▼最近できたと思われる公園。ここにも使われています。あえて使ったのか。
▼交差点には大きな案内板がありました。
▼行くべき観光スポットとしての紹介でしょうね。
▼交番の墓石の案内板。以前はこんあ感じで墓石を利用したアート(?)だったようです。
▼こちらもしっかりと地図を入れて紹介しています。親切といえば親切なんですが・・・。
碑石文化村の外れへ
墓石を見つけようと奥に歩いていくと、村の外れに出ました。
そこにはアートもオブジェもなく、
経済発展から取り残されたような建物が建っていました。
なんとも言えない、暗い気持ちになりました。
高台なので景色はよかったですが。
▼かつては墓石が建ち並んでいたじゃないか・・と思える場所に出ました。
▼しっかりした石垣が続いていました。
▼簡易トイレがありました。
▼しばらく人の手が入っていない雰囲気の建物もたくさんありました。
▼錆びたベンチプレス
ふたたびスタートの地点へ
路地を歩きまわって、ふたたびスタート地点の場所まで戻りました。
ちょうど団体の観光客が見学しているところでした。
よくある観光スポットとしてまわっているようでした。
▼きた道をもどります。日本人としてはどうしても写真を撮ってしまいます。
▼団体の観光客が見学にきていました。
▼路地に来ないで出会わないアート。どういうメッセージが書かれているんでしょうか。
碑石文化村 まとめ
今回の旅行で一番来たかった場所でもある碑石文化村。
実際来てみてよかったと思いました。
日本と韓国(朝鮮)についていろいろ考えさせられました。
文化とか考え方とか歴史感とか・・・。
日本人と韓国人(朝鮮人)。
見た目は似ていますが、
日本と韓国は似て非なるものだということを実感しました。
碑石文化村について、
朝鮮戦争で逃げて来た人達がやむにやまれずに墓石をつかったり、
墓地に家を建てたんだから、責めるべきではない・・・、
という意見もネットにはありました。
ただ、実際見てみると、最近できた公園の縁石のようなところにも、
墓石を使っていたり、一番最初の画像の家は墓の外柵を利用して、
しっかりした家を建てているので、
避難した後に建てる家ではないとわかります。
やむにやまれぬというのは、無理があるとおもいました。
また、碑石文化村のマスコットキャラクターでもわかるように、
まったく罪悪感がないのがわかると思います。
「日本人の墓地だから?気にしない」
そんな風に言っている住民の声を伝える韓国の新聞もネットに
出ていました。
訪問後に思うのは、過度に擁護するのはどうなのかという思いです。
朝鮮半島に昔からある、日本人に対する差別意識、嫌悪感というのを
実感しました。
見学している途中に道がわからなくなり、
歩いている地元民と思われるおじいさんに、
スマホの画像を見せて場所を聞いたところ、
こころよく教えてくれましたことも付け加えておきます。
明らかに外国人、おそらく日本人だと分かっていても、
親切に道を教えてくれたのはありがたかったです。
日本にも江戸時代に墓石を階段に利用しているところが、
今でも残っているそうです。
(ただ、墓地の上に家を建ててはいないとは思いますが)
思いが複雑に交錯して、あまり整理できていないですが、
碑石文化村の率直な感想でした。
ありがとうございました。
出来れば、韓国が少しでも親日になることを願って。
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