今回は本の紹介です。
ベストセラーとなった、
「ぼくはイエローでホワイトで、
ちょっとブルー」です。
イギリスの社会の現状が庶民の視点から描かれています。
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本書と著者・ブレイディみかこさんについて。
著者はイギリス在住のライター。
ヘビメタ好きが高じて、渡英したとのこと。
トラックの運転手をしている、
アイルランド系の男性と結婚(とははっきり書かれていないが・・・)し、
息子さんが一人いる。
本書は、著者の息子の成長の様子や日々の生活の様子を通して、
現在のイギリスの社会や教育の現状が書かれている。
想像以上のイギリスの現状。多様化した社会の現実。
そのイギリスの現状。
想像以上に荒廃しているのは軽く驚きだった。
イギリスでも貧富の格差が広がっていて、
教育現場にもその影響がはっきりと現れている。
裕福な家庭と庶民の家庭。
住む場所も、通う学校も、全然違ってくる。
自分が現在の状況に疎いだけで、
日本でも同じように貧富の格差が広がっているのかと、
ちょっと不安になってしまった。
BBCで放送されていた「リトル・ブリテン」というコント番組で、
これでもかというくらい辛辣に、
イギリスの上流階級や庶民の生活を皮肉っていたが、
実際の社会も同じように問題が多いと感じた。
移民が多い多様化した社会の問題も興味深い。
それぞれの文化や宗教の風習をどの程度受け入れるのか。
寛容であるべきなのかも考えさせられる。
たとえば、本書で初めて知ったのが、
女性版の割礼。
アフリカ、中東、アジアの一部の地域で行われている風習で、
15歳になるまでに、大人の女性になるための儀礼として、
女性器の一部を切り取ることが行われているそうだ。
イギリスでは、児童虐待として禁止されているそうだが、
特定のコミュニティーでは密かに行われているとのこと。
また、イギリス国内では禁止されているので、
割礼のために一度、出身国に戻って切除させることもあるそう。
多様化は素晴らしい・・的なキレイ事ばかりあふれている昨今の日本。
現実の多様化はいろいろ問題をはらむことを教えられた。
問題を突き詰めるのが欧米流?
そこまでする必要があるのかと思ってしまうほど、
問題に対処しようとするのが欧米の考え方だと改めて実感した。
白でも黒でもないグレーでもいいのでは、
曖昧でいいのでは、とアジア的に思ってしまった。
たとえば、性的マイノリティーを「LGBTQ」と分類したり。
本書では、
いろいろな人種や生い立ちの人の立場に立ってみて、
差別やいじめをなくそうとする教育を、
「シティズンズ・エデュケーション」として紹介している。
分析して、分類して、問題に対して対処する。
まぁ進んでいるといえばそうだが、
単純に「差別やいじめはダメ」というのでもいいのでは、と思ってしまう。
その方法だと効果がないということか。
逆にいうとここまでのシステム的な教育制度を導入しなければならないほど、
日常的な差別や偏見があふれているということだと思う。
本書でも著者や息子さんの実体験として、
東洋人が街を歩いていると、
「チンク」や「チンキー」という中国人を揶揄する言葉をかけらたことを紹介している。
日本もこの先、いろんな多様化が進むと、
違う出自の人たちが差別し合う社会に向かうのだろうか。
本書で感じた違和感。
イギリスの社会や学校の現状について、
いろいろ勉強になる一方、
読んでいて感じた違和感もあります。
ひとつは、話がちょっとまとまりすぎているところ。
たとえば、タイトルの、
「ぼくはイエローで、ホワイトで、ちょっとブルー」
ということばが登場する場面はちょっと出来すぎ。
ドラマティックというか、
さすがに日常生活でそんなうまくまとまるようなことはないと感じてしまった。
それぞれのエピソードでも、
最後にちょっとしたオチ的なまとめがあるのが気になってしまった。
日本に里帰りした際に息子さんが、
著者の地元の飲み屋で、
酔っぱらいの親父に絡まれる場面も、
ちょっと小説的で、
読んでいてできすぎていると感じた。
ライター・コラムニストとして活動しているという著者。
プロとして、自然に読者にウケる文章を書いてしまう習性があるのではないかと思う。
ノンフィクション的な雰囲気はあるものの、
少なからず、創作や誇張が含まれていると想像する。
もう少しノンフィクション的にまとめがなくても面白かったのではないかと思う。
ちょっと意地悪な視点ですが、
もう一つ感じたのは、
壮大な息子自慢だな・・という感じ。
息子さんの生活を通して、たくさん同年代の少年少女が登場する。
通っている学校の同級生や先輩、住んでいる同じ地区の幼馴染など。
日々の生活の中で様々な問題や事件が起きて、
その問題や事件に対して、息子さんが抱く疑問や葛藤が、
一人の若者を成長させていく様子を描いている。
ただ、問題や事件はほぼ、別の家で起こって、
同級生の少年少女が事件を起こす。
それに対する息子さんの反応も、
なんとも優等生的で、ものわかりのいいものばかり。
さすがに十代ともなれば、
自分の境遇に疑問を感じて、父親・母親に反抗する人が多いのではと思うのだが、
息子さんは、反抗するでもなく、
正しい言動に終始している。
問題を起こすのは、いつもよその子。
それに対してウチの子はいい子。
おそらく実際は、息子さんも、
反抗的な言葉を言ったり、悪態をついていると思うのだが、
イギリスの社会の現状を一際、際立たせるために、
息子さんを優等生的に描いているのでは、という、
著者の意図を想像してしまった。
最後に・・・。
ポリコレなのか、別の理由なのか、
旦那さんのことを「配偶者」と記述しているのに違和感を感じた。
「主人」とか「夫」とかの言葉はポリコレ的に著者の表現の辞書にはないようだ。
「配偶者」は息子さんの父親であることは、違いないようだが、
法的には夫婦でないからか、ポリコレ的に著者の感覚にぴったりだからなのか、
終始「配偶者」という表現を使っている。
ポリコレ的な自身の主義からだとしたら、
「下層のガキども」「ボコられても」という表現が普通に書かれているので、
表現がバランスを書いているように感じた。
「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」 まとめ
イギリスの現在の社会と教育現場はとにかく知らないことばかりで驚く。
貧困と格差。
十代に蔓延するドラッグ。
多様化する人種と性的嗜好。
保守的と言われる日本の社会が、
移民を受け入れるにしても、そうでないにしても、
参考になるところが多いと思った。
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