登山を自撮りし、生中継した栗城史多の人生。「デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場」

デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場 本の紹介
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今回は本の紹介です。
8度のエベレスト登頂に挑み、

35歳で亡くなった登山家、

栗城史多さんの生涯をつづったノンフィクションです。

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結論、「デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場」は読むべきか?

評判のノンフィクションだと知っていましたが、
読んでみると、ものすごく面白かったです。
ノンフィクションが好きな人にはもちろん、
そうでない人にも、オススメの一冊です。

ここまで面白いノンフィクションはそうはないと思います

若い登山家の濃密な人生が描かれています。
人生の折々での考えや、揺れ動く思い。
人生で、うまくいく時と、うまくいかない時。
読んでいると、いろいろな感情が湧いてきて、
こころを揺さぶられます。

望んだとしても、これ程の人生を誰もがおくれるわけじゃない。
登山家の人生を追体験する感じで読んでも楽しめます。

もちろん著者なりの切り口で描かれているので、
この本だけで、栗城さんを語るのは無茶だとはおもいます。

それでも、面白く読みました。
断言はできませんが、
ここまで面白いノンフィクションはそうはないと思います。(2回目)

 

デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場

 

本書と著者の河野啓さんについて。

本書は若くして亡くなった、型破りの登山家、栗城史多さんについて綴ったノンフィクション
第18回開高健ノンフィクション賞を受賞している、評判の一冊。

著者は、北海道のテレビ局のディレクターで、
制作したノンフィクションの番組は、数々の賞を受賞している。
また、著作も数冊あり、著作でも第18回小学館ノンフィクション大賞などを受賞している。

登山家の栗城史多さんとは、新進気鋭の登山家で、
注目されつつある人物として取材するうちに親しくなる。

ただ、取材をすすめる過程で、
著者は栗城さんと距離を置き、
応援する体制から観察する体制へと移り、
冷静に付き合うことにする。

テレビ局のディレクターとして取材対象とどういうふうに付き合うべきなのか。
著者と栗城さんとの関係が徐々に変化していく様子が興味深かった

 

平易な文章と、先を読みたくなる構成。

 

評判なノンフィクションなので、期待して読んだが、
期待を裏切らない面白さ。
はじまりだけちょっと読んで見ようと思ったら、
一章(本書では「第一幕」)をすぐに読んでしまった

著者の文章は平易な文章で読みやすく、
違和感なく、どっぷりと若き登山家の人生に漬かれる。

また、構成が抜群にうまい。
栗城さんの生い立ちや、学生時代の様子、付き合いのあった人物の話など、
次々と挿入されて、読んでいて飽きない。

数々のノンフィクションの番組を制作しただけあって、
この辺は著者の力量が伺える。

特に、本筋からは少しそれるが、とても興味深いエピソードの「第三幕」。
「遺体の名は、「ジャパニーズ・ガール」」の章は、
ミステリーやホラー小説を読むように、
ゾクゾクしながら読んでしまった。

 

マナスルという山に「登頂」した栗城さんは、自身の登山の様子を撮影しているうちに、
地元のシェルパから「ジャパニーズ・ガール」と呼ばれる、
かつて遭難した登山家の遺体を撮影することになる。

 

マナスルでは、1974年、「日本女性マナスル登山隊」が登頂に挑み、
見事、登頂に成功している。

そして、第二次隊の二人が頂上を目指したが、
一人が遭難して、還らぬ人になっているそうだ。

果たして、この「ジャパニーズ・ガール」が、本当に日本の遭難者の遺体かどうか。
著者は、栗城さんの撮影した映像を、
当時の日本隊に参加していた女性に見てもらうなどして、謎を解明しようとする。

この過程が、読んでいてゾクゾクしてくる。

時空を超えて、遭難した遺体の謎が浮かび上がるのはとても興奮した。

そして、その謎を解明する過程で、栗城さんの登山家としての瑕疵も、
あらわになっていく。

 

商業主義に傾く、若き登山家。

 

「単独無酸素 七大陸最高峰登頂」

 

栗城さんが自分を売り込む時に使ったこの言葉には、
トリックのようなところがあるのも驚いた。
そもそも、酸素を使って登頂するのは八〇〇〇メートル級の山のみとのこと。
七大陸の最高峰で八〇〇〇メートル峰は、エベレストのみなのだ。

「単独」の考え方も厳密には決められていないそうだ。
スポーツ競技ではないので、当然といえば当然。
だからこそ、そこには厳密なマナー、暗黙のルールが存在するようだ。

 

他の人が張ったロープを使っても「単独」になるのか。
別の隊が残した足場を使っても「単独」になるのか。

 

有名な登山家は「単独」の登山の際は、
シェルパからすすめられたお茶さえも断ったそうだ。

 

栗城さんの登山の活動も徐々に変化していく。
山や登山にひたむきに向き合うのではなく、
スポンサー探しや公演活動など、様々な活動が増えていく。

そして、多くのメディアで取り上げられるようになり、
若き登山家は、広く知られる登山家となっていく。

 

そして栗城さんの「単独」の考え方も、
大きく変化していったように感じた。
「単独」登頂なのに、
エベレストには、シェルパやサポートする人たちの、
「栗城隊」として向かっている。

危うさを感じながらもこの辺りは、
読んでいて成功譚としてちょっとわくわくする。
若い青年がどんどん前に進む感じ。
何も恐れずに、上へ、さらに上へと登っていく感じは小気味いい。

 

 

「プロ下山家・栗城史多」

 

栗城さんは、合計8回エベレスト登頂に挑んでいる。
しかし、1度も登頂できていない。

 

「夢の共有」というキーワードで、
自身の登頂の様子を逐一ネットにアップし、
中継していた栗城さん。

当初はネットでも肯定的に応援する人が多かったが、
栗城さんが身につけて、
登山の行程を公開していたGPSの情報が、

不自然な動きをしたことなどで、ネット上で批判がまき起こる。

登頂はおろか、8000メートル以上にも登頂出来ず、
途中で登頂を断念し、下山を繰り返す栗城さんを、
「プロの下山家」と揶揄するコメントもあったそうだ。

 

メディアを使って、自分を表現しようとしていた栗城さんの登山。
ネットで注目を集めた分、
挑戦が失敗した時の批判も大きくなった。

それでも、栗城さんは持前のしつこさでエベレスト登頂を目指す。

 

著者に感じた違和感。

 

著者はある時点で、栗城さんの取材をやめることになる。
それは、著者に優先的に取材させて、番組も先に放送させるとした、
約束を破られるなど信頼関係が壊れたことによる。
また、山や登山に対する栗城さんの姿勢が変わっていたことも、
著者が栗城さんに対する情熱を失った理由らしい。

 

かつて著者は夢を語った人物を番組で取り上げ、
全国的に話題となった

それは、ヤンキー先生こと、義家弘介さん。

「ヤンキー、母校へ帰る」というドキュメンタリーは、評判となり、
その後、連続ドラマにもなったそうだ。

義家さんはその後、自民党から立候補して、国会議員となり、
文部科学副大臣などを務めている。

国会議員、しかも、自民党の政治家になったことに、
著者はよほど腹がたっているようで、

 


彼を番組に描き、世に送り出してしまったことに、わたしはいまだに忸怩たる思いを抱えている

と書いている。

さらに以下のようにも書いている。

 

・・・彼も「夢」という言葉が大好きだった。しかしその夢を捨てて政治家に転身し、言動も顔つきも同一人物とは思えないほど変貌した。社会科教師時代のヨシイエは、平和憲法の大切さを生徒に説いていたのに、義家氏は愛国教育の旗振り役となった。ヨシイエは沖縄の苦難に満ちた歴史を熱っぽく語っていたのに、義家氏は「国が選定した保守系の教科書を採用するように」と沖縄・竹富島の教育委員会に乗り込んだ。ヨシイエの母校での取材テープはすべて保管してある。その映像を義家市の目の前で再生して差し上げたい。画面の中のヨシイエに反論してほしい

 

現在の義家さんが大きく変わってしまったことを
「ヨシイエ」と「義家氏」とわざわざ名前を書き分けて表現している。

 

個人的には、
現在の義家さんの方がバランスある感覚を身に着けているように思うが、
著者はそうではないらしい。

おそらく、学生時代にこびりついた左翼思想が今も頭から離れないのだろう。
青臭い理想論や綺麗ごとがまかり通るメディア内では、
社会人として通用するが、実社会ではそうは行かない。

 

著者は義家さんが「変貌」したとか「変節」したとか書いているが、
個人的には実社会の厳しさを知って、立派に成長しただけだと思うが・・・。

 

 

自らの信じるイデオロギーと違う考えの人間をバッサリと切り捨てるのは、
いかにも左翼チックな印象をうけた。

余談だが、
本書が受賞した開高健ノンフィクション大賞の選考委員も、
ほぼ左翼界隈の学者や知識人が並んでいる。

 

栗城さんと袂を分かつことにした著者だが、
商業主義的になりすぎた栗城さんの登山活動に嫌気が差したのはわかるが、
自らが作り上げた、若い登山家の虚像を、
栗城さんに押し付けすぎではないかとも思ってしまう。

 

商業的すぎたのはその通りだと思うが、
人間は日々変化するし、考えも変わる。
それこそが人間だと思うのだが、
著者はその変化が、
自分の描く登山家像からはみ出てことが許せなかったのではないかと思ってしまった。

 

若かったころと、社会に出ていろいろ経験すれば、
行き方も考え方も変わるのが普通だと思うのだが。

 

登山に関する知識も挿入されていて、勉強になる。

 

世界中の登山家が目指すエベレストの様子。
さまざまなルート。
登頂に向いている季節。
現地でサポートするシェルパや登山会社。

栗城さんを描くと同時に、
登山、特にエベレストの登頂のさまざまな情報が描かれていて、
とても勉強になる。

登山家のために、裏方として、
雑用をこなすシェルパの存在には、
改めて大変な仕事だと感じた。

 

 

大逆転を狙ったのか? 栗城さん、最後のエベレスト登頂。

 

栗城さんの訃報を知った時の率直な感想を、
栗城さんと関わった人たちに聞いたコメントが書かれている。
登山家・栗城史多の客観的な評価が知れて興味深い。

登山関係者は大概、厳しいことばが並ぶが、
ここまで本書を読んでくると、
納得できるような言葉ばかりだった。

たとえばこんな感じ。

 

登山の情報誌、「山と渓谷」には、以下のように掲載されてそうだ。

ごく普通の青年が、弱さもふくめて自分をさらけ出し、高峰に挑む姿は人々をひきつけたのだろう。

 

撮影隊やポーターを伴う登山が「単独」といえるのか、という声もあった

 

日本ヒマラヤ協会の大内倫文さん。

・・・ヒマラヤで死んだ登山家は、(中略)文豪に似た佇まいがあるんだ。けど栗城は全然違う、彼は芸人だね。山の仲間と共有できない人間が、誰と何を共有するというのか?・・・

 

栗城さんは、エベレスト登頂を生中継することを「夢の共有」と表現していた。

 

逆にほめている登山家の人もいる。

パフォーマンスはすぎたけど、勇気ある素晴らしい人生だった。

 

植村直己だとバックに電通がいてさ、北極で犬ゾリの犬が死んだら衛星電話一本で新しい犬が運ばれてくるわけだよ。あの単独行は批判しないのに、皆、栗城をいじめすぎだよ

 

最後のエベレストで、栗城さんは、無謀なルートに挑戦する
その無謀な挑戦を、読み解く過程も興味深い。

栗城さんの最期をざっくりと知っているだけに、
最期の登頂の様子は読んでいて切なくなる。
一発逆転をかけたとも思える、若き登山家の行き急ぐ姿に、
何とも言えない気持ちになる。
(ちょっと感傷的すぎるか・・・。)

 

「単独」という言葉を最後の最後に、著者なりに解釈して見せて、
ジーンと心に沁みる。

読後は、深く余韻を残した。
余韻に浸りながら、
表紙の帯の、指を失った栗城さんの写真をしばらく眺めてしまった。

 

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